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遠州大念仏


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遠州夏の風物詩-「遠州大念仏」とは


2018 / 7 / 15 sun 6:30pm - 8:30pm
[Place] 犀ケ崖資料館 MAP
〒432-8014 浜松市中区鹿谷町 25-10

遠州大念仏は、浜松市を中心に盆(7月あるいは8月)の夜に初盆の家を回って太鼓や鐘などにあわせて念仏踊りを披露する、遠州地方の夏の風物詩、無形民俗文化財に指定されている郷土芸能です。初盆の供養の依頼を受けた家を訪問し、大念仏を演じ、供養を行います。大念仏の一行は笛、太鼓、鉦、歌い手など、およそ30人で隊列を組み、頭先の提灯を先頭にして、笛・太鼓・鉦の音に合わせて行進しながら、初盆を迎えた家を訪れます。大念仏の一行が初盆を迎えた家の庭先に入ると、太鼓を中心にして、その後方に双盤を置きます。そして、音頭取りに合わせて念仏や歌枕を唱和、太鼓を勇ましく踊るようにして打ち鳴らし、初盆の家の供養を行います。
遠州大念仏の起源は徳川家康75年の生涯の中で、唯一の負け戦として史上有名な「三方原合戦」にさかのぼります。

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三方原の合戦
元亀3年(1572年)、京を目指す武田信玄の軍勢約25,000人と、織田信長からの援軍約3,000人を加えたおよそ11,000人の徳川家康の軍勢が、三方原の台地で、両軍の死力を尽くした攻防戦を繰り広げました。一進一退の攻防戦、しかし、武田勝頼隊が押し出してくると、徳川勢はついに崩れ始めたため、一団となって浜松城に逃げ帰りました。それでも、武田勢の追撃の手は緩むことはありませんでした。時に家康弱冠31歳。百戦錬磨の武田信玄を相手に刀折れ矢尽きた戦いでした。

犀ヶ崖の戦い
浜松城に逃げ込んだ家康は、城の城門を全部開かせ、かがり火をたいて城を照らし出すよう命じたのです。追撃してきた武田勢はこの様子をみて、警戒し城内に攻め込むのをやめ、犀ヶ崖付近で一部の兵士を集めて夜営をすることになりました。同夜、一矢報いようと考えた徳川軍は反撃に転じ、犀ヶ崖付近に野営中の武田軍を夜襲しました。犀ヶ崖に武田軍を追い落とそうと、崖に白い布の橋を張り、丈夫 な橋が架かっているように見せかけたのです。更に油断させるために浜松城の近くにある普済寺に自ら火を放って、浜松城炎上と見せかけておいて、武田の陣営 の背後から鉄砲を撃ち込み、織田信長の援軍が来たと思いこませ、武田軍を谷底へ追い落とし多数の死傷者を出し損害を与えました。

遠州大念仏は、この三方ヶ原の戦い、および犀ヶ崖の戦いで犠牲となった人を弔うために始まり、この戦いで命を落とした武田勢兵士の鎮魂のために迎え入られた宗円僧侶の下、行われるようになった行事なのです。


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http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/c-machi/culture_art/saigagake/s-dainenbutu.html (Japanese)